doracenaのブログ

人を知りたい

自分の正義と悪

 正義とは芽生えるもので悪とは進行するもの。どういう意味かと問われれば、それは畑から違う別物のそれであるということ。なんて、大学の同級生が言っていたので少し話をしましょうね。



ドラセナです。



ドラセナは人間性がゴミクズですので、その性根は白か黒かと問われればドブ色だろうと笑うくらいにはひねくれた人間なんですよ。悪に傾倒することも、正義に思考放棄することも叶わない中途半端な人間がドラセナです。まぁ、この日誌の適当な投稿頻度で皆様何となく理解しているでしょうが。



余裕があるものにしか正義は生まれず、かと思えば悪はあらゆる全人類の心の底に初期装備されているなんて、笑える話ですらない。




そういう点において人間のそれが大嫌いなんですよね。まぁ勿論個人の感想で、白黒つけるのが好きな人間を否定するわけではありませんが。それでも、好きにはなれない。




 ドラセナは声が出ません。

それが比喩的な表現なのか本当に出ないのかは貴方の予想に任せますけど。だからこそ、適当に笑うことの恐ろしさをよく知っている。良く取られることも、悪く取られることも一度や二度ではなく、ただ『居る』だけで避難されることだってある。



正義の反対は別の正義だ、なんて綺麗事言いたくはありませんけどね。それでも、譲れないものはあります。じゃなきゃこんなとこで己の思考を確立するための記事なんて書いてませんし。




ドラセナは帰る場所が欲しいのかもしれません。もうない場所を求めてるのかもしれません。だから、声をかけてくれる人を愛してしまうのかもしれません。だから、声をかけるのを恐れているのかもしれません。ああまぁ、もうどうでもいいんですけどね。




 さて、もう寝ましょう。

最近はつい喋り過ぎることも多かったですし、今日くらい短くたって誰も責めませんし、もういい気がするんです。眠れなくとも、羊を数える仕事に終わりはありませんからね。おやすみなさい。

愉快な友達と大人への階段

 泣いているやつばかりが悲しい訳では無い。なんて、誰の言葉かも忘れたのですけど、今日はその話をしますね。ドラセナです。



なんの話かって、まぁ愉快な友人関係の話なんですけど、つい最近届いたLINEに新興宗教を開設する旨の連絡があったのですが、年がら年中テンションの高いあいつが新興宗教なんて性に合い過ぎていてドラセナは少し心配です。


まぁそれでどんな人間が幸せになろうと不幸になろうとあいつ自身が不幸になろうと知ったことでは無いのですけれど。




そう、アイツってば基本まともな人間の皮を被ってるくせに、高確率でその皮をドブに捨てるので見ていてとつても愉快なやつなんですよ。どこが愉快かって言われると悩みどころなんですけどね、まぁそこそこにカリスマがあって地頭もいいから話が面白いんですよ。そのくせ人間性がゴミグズ野郎だから退屈しないし、自慢(笑)の友達なんですけど。



なんでなんで宗教?と聞いたところ、人生に退屈したからだそうで、あんな順風満帆な人生(本人談)な人間でもそういう病み期が来るのかとひとつ勉強になりました。大変素晴らしい発見ですね。



 そこで話を戻しまして『泣いているやつばかりが悲しい訳では無い』という言葉。元を正せばどこかの文豪様の言葉だったような気もしますが、それはさておき、いや素晴らしい言葉で。



いつもへらへらへらへらへらへら笑ってるドラセナ然りアイツ然り、だからといって『悲しみ』なんて遠いものでは無いけれど近いものでもありませんからね。『虚しい』とは言えど『悲しい』なんて成人した今では言うこともありませんし、笑って誤魔化しはすれど泣いて喚くなんてしませんし。


大人ってそういうことなんですかね。


私にはよく分かりませんけど、分かりたくもありませんけど。それでもなおまだ子供でいたい気持ちもあるんですよね。



 苦いコーヒーを「美味しい」と言えるようになる時、家で淹れた紅茶に砂糖を入れなくなる時、それが大人になる時なんだ。なんてアイツは言ってましたが、それは少し寂しい気がするんです。




私の同級生、アイツを含めた愉快な学生時代の仲間たちは無神論者の道徳不履行者の集まりだとよく笑われていましたけど、そんな中のひとりが作る新しい宗教、すこし興味がありますね。


まぁ、そんな奴が作った宗教の最終結論なんてどうせろくでもないはずなんですけどね。





 そんなことを言ってももう時間ですね。懐かしい仲間の話をするとつい口数が多くなるのも悲しい大人の性と言うやつですね。


嗚呼、今日はとてもいい夢が見れそうです。内容はきっとろくでもないはずですけど、でもきっと楽しくて懐かしい夢のはず。それではおやすみなさい。


良い夢を。

現代版遊廓?

 いやぁ最近ほんと暇ですよね、まぁ最近に限った話じゃないし面倒なんで何かあっても困るだけなんですけれども。


どうもドラセナです。




 夏も近付き寝苦しくなる今日この頃、皆様きちんと睡眠は取られているでしょうか。私は全然、とまぁそれこそどうでもいいですね、話を戻します。今日の話題も時勢の話になるですけど、良ければ読んでいってくださいね。





 ドラセナの最近の流行りはラジオアプリを見て回る事なんですけど、それにしたってどのアプリも人が多くて賑やかなんですよね。



最近じゃあスマホ一つあればラジオ配信や動画配信ができる時代ですし、まぁ珍しいかと問われればみんな暇なんだろうなと言う答えしか返って来なさそうな話題なんですけども、私的には最近の趣味で上げていいほどどハマりしちゃって…。


決まった人に固執するんじゃなくて色んな人の色んな話を作業片手間に聞くのがいいんですけど、あまりにも配信者が多いから視聴者、所謂『リスナー』が足りてないんですよ。


だからよく配信者と1対1になることもあって、チャットで会話してるみたいなことも多々あるんですけどね、いやほんとラジオとは?みたいな事になることもしばしばで、いやそれなりに楽しいんですよ?でもなんか笑えてきちゃって。




 まぁさて置いて、ドラセナはしがない大学生でございまして、苦学生さながらにバイトバイトとバイトに学業みたいなことをしているのですが、親元からも離れてしばらく経ちますし、こんな性格ゆえに友人も少なく人恋しい時もあります。


そんな時にちょうどいいのがこのラジオアプリの気軽さでございまして、ええほんと、大助かりの暇つぶしなんですがね。



 何となく、嗚呼これも時代なのかな、なんて思うことはよくありまして。江戸で身寄りのない子供や金のない女が遊郭で男を誘って金を稼いでいたように、現代では寂しく誰にも助けを求められない人間がああやって楽しそうなサムネイルや話題提供で人を寄せているように見えるのです。


勿論、重ねると過去の人にも現代の人にも失礼で、本質や結果の全てにおいてまるっきり違うものなのですが、ドラセナと致しましてはあの連なったサムネイルの並びが遊郭のショーウィンドー、籬のように見えてしょうがないのであります。


だからといって何か、というわけでもございませんし、ラジオが心から楽しいという人間の方が多いことも重々承知ではございます。かの遊廓がそれしか生きる道のない人間の闇であったことも理解した上での気付きでございました。



楽しい配信にはスパチャやスタンプといったお金で応援し、気に入った人間にころころと付きまとうその客らもまた、きっと中身は寂しさがあるのでございましょう。





 さて中途半端にも話はここで終わりですが、皆様もぜひラジオアプリを入れてみてはいかがでしょうか。存外楽しく来やすいものでございますよ。


少なくとも、怯える夜を一人で過ごさないで済むという利点はございますので、なんてね。

皆様、おやすみなさいませ。