doracenaのブログ

人を知りたい

愉快な友達と大人への階段

 泣いているやつばかりが悲しい訳では無い。なんて、誰の言葉かも忘れたのですけど、今日はその話をしますね。ドラセナです。



なんの話かって、まぁ愉快な友人関係の話なんですけど、つい最近届いたLINEに新興宗教を開設する旨の連絡があったのですが、年がら年中テンションの高いあいつが新興宗教なんて性に合い過ぎていてドラセナは少し心配です。


まぁそれでどんな人間が幸せになろうと不幸になろうとあいつ自身が不幸になろうと知ったことでは無いのですけれど。




そう、アイツってば基本まともな人間の皮を被ってるくせに、高確率でその皮をドブに捨てるので見ていてとつても愉快なやつなんですよ。どこが愉快かって言われると悩みどころなんですけどね、まぁそこそこにカリスマがあって地頭もいいから話が面白いんですよ。そのくせ人間性がゴミグズ野郎だから退屈しないし、自慢(笑)の友達なんですけど。



なんでなんで宗教?と聞いたところ、人生に退屈したからだそうで、あんな順風満帆な人生(本人談)な人間でもそういう病み期が来るのかとひとつ勉強になりました。大変素晴らしい発見ですね。



 そこで話を戻しまして『泣いているやつばかりが悲しい訳では無い』という言葉。元を正せばどこかの文豪様の言葉だったような気もしますが、それはさておき、いや素晴らしい言葉で。



いつもへらへらへらへらへらへら笑ってるドラセナ然りアイツ然り、だからといって『悲しみ』なんて遠いものでは無いけれど近いものでもありませんからね。『虚しい』とは言えど『悲しい』なんて成人した今では言うこともありませんし、笑って誤魔化しはすれど泣いて喚くなんてしませんし。


大人ってそういうことなんですかね。


私にはよく分かりませんけど、分かりたくもありませんけど。それでもなおまだ子供でいたい気持ちもあるんですよね。



 苦いコーヒーを「美味しい」と言えるようになる時、家で淹れた紅茶に砂糖を入れなくなる時、それが大人になる時なんだ。なんてアイツは言ってましたが、それは少し寂しい気がするんです。




私の同級生、アイツを含めた愉快な学生時代の仲間たちは無神論者の道徳不履行者の集まりだとよく笑われていましたけど、そんな中のひとりが作る新しい宗教、すこし興味がありますね。


まぁ、そんな奴が作った宗教の最終結論なんてどうせろくでもないはずなんですけどね。





 そんなことを言ってももう時間ですね。懐かしい仲間の話をするとつい口数が多くなるのも悲しい大人の性と言うやつですね。


嗚呼、今日はとてもいい夢が見れそうです。内容はきっとろくでもないはずですけど、でもきっと楽しくて懐かしい夢のはず。それではおやすみなさい。


良い夢を。