doracenaのブログ

人を知りたい

ねむれない

 今日はつまらない、という言葉が恐ろしい話です。急になんだと言われましても、ええそう言う話だと念頭に置いて読まれていただければ幸いです。



 私昔から多趣味でございまして。こうやって文章を書くこと、及び手芸や料理、読者にゲームにスポーツに至るまで、兄や姉がしていない事は取り敢えずやって見る事にしていたんです。

(それを多趣味と呼んでいいのかは多趣味の方に失礼かとは思いますが、この記事では名目上多趣味ということにしておきますね)


もしかしたら兄や姉と違った何か別の才能があるかもしれない、と手を出すのですが、私いわゆる不器用と言うやつで特に続かないし人並みには出来ても人以上に出来ないのが現実でありました。


例えば手芸。

祖父母の家にはかなり大きなミシンがありましたので、自分は幼いながらポーチやエプロンを量産しては行き場に困らせていました。

例えば料理。

私は特に好き嫌いがないのですが、姉は野菜が、父母はかなりの甘党だったこともありクッキーやケーキを焼いていましたが、どれもこれも完璧主義もどきの私からしてみれば失敗作でしかなく、作り終わる度に反省を挟むので辞めました。

例えば読者。

色んな考え方や世界を知れるので純文学からラノベに至るまで読み漁った時期はありましたが、本を読む姿が姉に似ていると周りから言われ、何となく居心地が悪くてやめてしまいました。


こう書き起こしてみると自身の飽き性に問題があるようですね。ええまぁだからなんだという話なんですけども。



 話を纏めますと、私はどうにも「つまらない」という感情が恐ろしいようです。周りから言われるにしろ、自身がそう思うにしろ関係なく。


「飽きる」「面倒くさいと思う」なんてのも私の中では類義語のようで、如何に相手から面白いと思ってもらえるかを重視する私にとって、「つまらない」という言葉は「死ね」と言われるよりも重たい死刑宣告なのかもしれませんね。


人の存在価値なんて様々ではありますが、だからといってつまらなく生きている人間に価値なんてあるのでしょうか。私はいつか私すら自分のことを「つまらない」と思う日が来るのではないかと怯える毎日であります。


 

 とまぁ今日はこの辺りで。

私は眠るのを頑張らねばなりませんので、

それでは皆様おやすみなさいませ。